今日は気温は上がりませんでしたが、それでも昨日のように一日雨天よりは行動しやすくてよかったです。
「クリスマス フェスティバル in すぎなみ 2010」を終えてみて、色々な方の声を聞く事が出来ましたし、今後のために考える事もできました。
今回は、サマ―フェスティバルにもご出演頂いたアーティストさんが、「1人でお客さんを集めるのは大変だからガラコンサートにしてみたい!」という意見を取り入れましたが、この形は意外と難しい事が分かりました。
そして、今回のフェスティバルは、「ソロ&デュオの世界」というサブタイトルをつけましたが、デュオの出来がアーティストの力量とは違って、デュオを組んだ2人が時間を掛けて音楽を作り上げたチームと短時間で合わせて本番に出演したチームでは、やはり全然アンサンブルとしての出来が違うと思いました。
合わせというのは不思議なものですね。
何度も合わせているうちに相手の呼吸が分かってきますので、とてもお互いが自分たちの音楽に乗りやすくなり、合わせようと思わなくてでも自然と合ってくるのです。
譜読みは得意だし、忙しいから短時間で仕上げてしまおう!と思ってやったチームは、もちろん技術はしっかり確かな者同士ですから、各人はきちんと練習して弾けるようになっていても、心が通っていないのです。
恐ろしいのは、それが聴衆たちに全部ばれてしまっているという事です。
本人たちは、一応2人が止まらずに軽快に音楽が進んでいったので、結構満足しているのですが、これでは2人の心通う音楽までは到底いかないですし、双方に物足りなさが残り、お客様は不満が残るのです。
「アンサンブルはこれでいい。」と勝手に思って、物足りなさが残らない人もいるから困りものです。
ソロだけが本当の練習だと勘違いするアーティストもいるのですよ・・・
ある程度ベテランになればなるほど、お仕事がお忙しいのでそういう傾向になりがちですが、これは大変恐ろしい事だと思います。
どんな時でもアーティストは初心を忘れずに、「自分たちもハッピー!お客様たちもハッピー!」な気持ちにならなければ、そのコンサートは成功したという事にはならないと思います。
音楽を作りだしていく過程が大切なんだな〜とつくづく思いました。
そして、アーティストとお客様が同じ時間を共有している、一緒に楽しまなければならないという事です。
自分の勉強してきた曲をテストのように、ただただ弾き切っても、それだけではお客様のハートに音楽が入っていかないと思います。
アーティストは自分の演奏技術の進歩のためにコンサートをするという意識は改めなければならないと思います。
それはアーティストの自己満足であり、どんな難曲を弾いてもアーティストとお客様が密に通じあえるものがなければ、お客様は退屈しますし疲れてくるのです。
わざわざお金を出して来て下さっている方たちに失礼ですし、こういう事を続けるから、クラシック離れがはじまるのです。
もっと楽しい面白い時間にすれば、集まってくるんだと思います。
別にMCで笑わすという事ではなく、聴いている人たちに”音楽の幸せ”を伝えてあげれば、また楽しくて足を運んで下さるのです。
最初のクラシックリサイタルで面白くなく退屈したからもう懲り懲りであれから一度も足を運ばない、という人も本当にいらっしゃいますし・・・
娘が子供時代にフランスのイヴ・ナットの最後のお弟子さんのスイス人のヴァルター先生に習った時期がありました。
ヴァルター先生のおばあさまはリストとデュオをした仲良しピアニストでしたから、音楽ファミリーです。
彼は、「”イヴ・ナットはピアニストではなくミュージシャンにならなければいけない。”と言っていたけれど、これは本当に正しい事なんだよ。」とおっしゃっていました。
ピアニストだけで満足しているピアニストは、聴衆を幸せにはしてくれないけれど、技巧はそれほどでなくてもアーティストであれば、聴衆を幸せにすることができるんだよ。」という言葉をふっと思い出しました。
まさしくそれなんだな〜とイヴ・ナットの言葉を噛みしめながら考えてみました。
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