ブログをはじめて、1ヶ月と少しになりますが、はじめて「コメント」というものを頂きました。
今までそういう経験がないので、一瞬何かと思いました。
「fuyu」さんというお名前の方からでした。有難うございました。
これだけ、毎日音楽の事に触れてきましたが、最初のコメント「fuyu」さんからは、音楽の質問とか意見ではなく、昨日の最後のYahoo!ニュースの真央ちゃんの事でした。
実は、今日触れようと思っていた課題のことも色々入っていました。
「鐘」は、確かに真央ちゃんには不向きだったと思いますし、コーチがロシア人だったからラフマニノフを選ばれた事もあるでしょうね。
「fuyu」さんの、「もちろん、苦手でも表現できなくていけません。」というのは、学生で課題曲を勉強している訳でもないですから苦手なものを敢えてする必要はないと思いますし、真央ちゃんの顔(中味)そのものが出る選曲が大切だと思います。
ですから、私としても選曲ミスだと思います。
世界選手権での「怒りの表現」には、真央ちゃんの心の葛藤が外に現れてきたのではないでしょうか。
それだけ大人になった事だと思います。
私は、長年ロシア人の指導者と関わり、色々経験して感じた事があります。
ロシア国民は、体の奥にとても熱いものを持っています。
しかしその教育方法は、意外とその子自身を伸ばさないで、自分の思い通りにはめ込もうと意識的にまねをさせる教育が行き過ぎていると10年以上前に感じました。
もちろん、芸術にはものの見方を一つ変えれば、全く違った見方になる事もありますし、「不正」は多々あると思います。
しかし、私は「不正」とかそういうものはすべて抜きにして、単に演技を鑑賞して心の底で感じたことを素直に書いているだけなのです。
考え方は千差万別ですから、それを拒否なさられて全く問題ない事だと思います。
確かにロシア人全員が同じ考えのわけもございませんが、NHKドキュメンタリーを観たときに、私が頭を過った事と全く同じ線でタラソワコーチが語られたので、「やっぱり!」と確信した次第です。
私個人がオリンピックの演技を観て、キム・ヨナとの芸術の差を感じたのは、演技の中から強い光が出ているかどうかという判断です。
ですから、「不正」だのそういう段階で私は話しているのでは全くありません。
好き嫌いや好みがあるのは当たり前ですが、聴衆の目はごまかせないと思います。
人の解釈というのは難しいものですから、なるべく誤解のないように記載すべきですし、自分の意見を丁寧にきちんとの述べなければならないと反省しております。
「fuyu」さんが、2月27日のブログを読んで下さっていたら、何となく私の言おうとする意味がもっと伝わったかな、と思ったりしています。
真央ちゃんに表現力が何もなければ、もちろんここまで頂点にはいきません。
子供時代はとても明るくて溌剌として、伸びやかな表現力とが備わっていたからこそ、ジュニアでずっとフィギュアスケートのスターの座でした。
そして、輝きある目と顔一杯で笑う笑顔がたまりませんでした。
私もかわいくて大好きで、彼女の演技になると釘づけになっていました。
だからこそ、ないものを早く自覚して、もっと羽ばたいて欲しいと心から願って、色々自分なりの分析をはじめたのです。
これは、真央ちゃんが好きだからこそ、そして乗り越えて欲しいからこそだという事をご理解頂けますと幸いです。
「銀」をもらって、申し分ない結果なのですから・・・
またまた音楽とすぐ結びつけたくなってしまうのですが、20年ほど前ですが、PTNA(全日本ピアノ指導者協会)の創設者である故福田靖子先生が、「何故小さい時には、『この子は将来凄いピアニストになるわ!大人顔負けの表現力があって、生き生きして上手!』と期待していた子が、中学、高校になると、昔のあの演奏は何だったんだろう?って思えるほど面白くない演奏するんだけれど、これってどういう事だと思う?」と聞かれ、帰国の折の会食時の話題になり、意見交換した事がありました。
確かにそういう生徒もいらっしゃいます。
たとえば、アメリカのハリウッド全盛期の時に子役女優として活躍した「テンプルちゃん」ですが、子供なのに、大人顔負けの演技!という事で一躍スターになりました。
確かに「小公女」を観ても、ちょっとした仕草、鳩に餌を撒いている姿をみて、子供なのになんであんな演技ができるのかしら?と思えるほどです。
大人びた振る舞いを小さな子役が演技しているのは本当に「天才!」だと思います。
でも、それは演技として指導を受けてするコピーではなく、その子から出るものなのです。
フランスの生徒の中にとてもおしゃれなかわいいお子さんがいました。
今は美少女に変身していますが・・・
当時5歳で、とてもフランス人形みたいにかわいい子だったんです。
その子は、毎朝香水をつけて幼稚園に行くのですが、ピアノのレッスンの日にうっかり朝忘れたらしくて、レッスンの前に、ちょっと香水をつけてからレッスンをはじめていいですか?と聞いたので、「香水で曲のイメージがよくなると思うから香水をふってからレッスンしましょう!」と答えました。
その姿をみて、もう驚きました。
フランス女性と同じ振る舞いをしているのです。
ちょっと綺麗に首を斜めにしながら、左右の耳につけている様子は、エレガントで絵になっていて、もう見ていてかわいくてうっとり・・・
そういう子は発表会でも身のこなしが素敵で見る楽しみもある程です。
同年の子で、足を広げてドタドタ舞台を歩いてきて、ピョコンと頭下げてピアノに向かう子とは動作すべてが違います。
ピアノを弾くレベルはほとんど変わらないなのに、何故生まれて5年という歳月しか経っていないのに、このように雰囲気が違うのか・・・これが個性なんです。
真央ちゃんは、演技力と表現力が本当に愛らしくて、伸び伸び素敵な演技をしたからこそ、みなから大喝采を受け、今の座があるのです。
先程のテンプルちゃんの話に戻りますが、最後の作品は脇役で病人役だったからという事もあるでしょうが、目の輝きを見て、そして演技を観て、あの天才子役女優のかけらも見つかりませんでした。
スターが落ちぶれてしまうと悲惨でかわいそうです。
優れている子役が親や指導者のコピーだけで演技をしていたなら、全く子役として残れないと思います。
その子の内面に備わった想像力と表現力こそが演技を引き立てているのです。
本当に素晴らしい才能があるからこそ選ばれるのです。
子役スターの座を勝ち得るだけの、素晴らしいスター性と表現力がそこには身についているからなのです。
心の奥に秘めたものがダイヤなのか石なのか・・・という事なのでしょう。
もちろん必ず「運」も付き物ですが・・・
加藤清四郎君だってそうですよね。
大人みたいな演技!は、大人の演技ではないわけで、大人になれば、本当の大人の演技をしなければならないのです。中身で勝負です。
逆に、子供の時は誰からも「特別な子」と見られなかった子が、突如として思春期になって認められる事もあります。
それは、子供なりにずっと生きてきた証、たった15年の生きざまが光って、誰からも愛される「光った人」になれたからなのだと思います。
ですから、特別の才能がある人は、神から選ばれて、この地上に生まれてきたわけですから、どうしてもないものを補って、もっともっと羽ばたいて欲しいと願ってしまうのです。
真央ちゃんは選び抜かれた子ですから・・・
最後に・・・
16代アメリカ大統領のリンカーンは、「40歳になったら、人は自分の顔に責任を持たねばならない。」と言いましたが、小学生の時にはじめて聞いた時は、何の事か理解できなくて考え込んだ事を覚えています。
少し成長して、「人間は、前向きに頭脳をフル回転させて、努力しない限り、魅力ない悪い顔になってしまうのだ・・・」と理解できるようになりました。
自分の顔に責任が持てるように、もっともっと頑張らないと!
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