今日もパリは晴れ渡っています。
周囲の人たちから、「庭が美しくなったわね〜」と言われて、ちょっと鼻をピクピクしていたのですが、庭の落葉樹が沢山葉を落としてくれたので、帰国前にまた一仕事です。
でも、大仕事は片付いたので、ちょっと最後一息つけて、こうやってブログを書く時間もできてよかったです。
昨日のブログでお知らせしましたが、ショパンは、1949年10月17日にパリで息を引き取りました。
今年は、生誕200年の記念の年であり、今まさにショパンコンクール開催中、そして今日からショパンコンクールのフィナ―ルがはじまりました。
私がポーランドのワルシャワに行きましたのは、1995年のショパンコンクール時期でしたので、15年前になります。
当時は、フランスのアルザス地方に住んでいましたが、ショパンの父親もフランス人と言ってもアルザシアン (アルザス地方の人) でしたので、余計にショパンの家系を身近に感じていましたし、ショパン家族に興味を持ち続けています。
「このマズルカは彼がどういう心境の中で作曲したのかしら?」とか、「ショパンの描く似顔絵を見て、どんなユーモアに富んだ少年時代だったのか・・・」
そういう事を想像しながら、音楽と向き合っている事は本当に幸せです。
1人でああだ、こうだ、と勝手な想像をして楽しむ事が大好きです。
今年のコンクール出場者は、とても個性的な演奏が多い、と友人からメールが送られてきました。
皆一生懸命にこの日のために頑張ってきたのですから、最後まで自分の力を出し切って欲しいと思います。
私が1995年のショパンコンクールを鑑賞した時は、当時、ドイツのフライブル音楽大学の故ピピト・アクセンフェルト教授が審査員でいらした事から、チケットなどを手配して頂きましたが、彼女の言葉が今でも頭を過ります。
ワルシャワについてすぐアクセンフェルト女史にお目に掛かりましたら、「みんな一生懸命にこのコンクールに掛けて世界から集まってきているのに、練習した曲の全部を披露出来ないでみんな次々去っていく・・・それを考えるととても心が痛みますし、私は大変惨い事をしているようです。」と・・・
それと、日本は「TOYOTA」をはじめ立派な企業がスポンサーについてくれているから、日本人は必ず最低1人は入賞させないといけないようだし・・、と言われて、私は、アクセンフェルト女史からその言葉を聞いた途端に、胸を痞えるものがありました。
とても全人的な方でしたので、ご高齢でこのコンクールのあとお身体を壊されました。
当時娘はアルザスのコンセルヴァトワールでロシア人についていましたが、やはり「ロシアはお金がないけれど、日本は経済大国だからショパンコンクールも有利でいいわよね。」と言われて気が重かったのを覚えています。
私は、それ以後(それ以前からでしたが・・・)特に、コンクール鑑賞は何か胸につかえて痛々しいものが見えてしまうので好きではありません。
どんなコンクール鑑賞の時では甲乙とやかく批評するよりも、とにかく「ここまでよくやったね!」という賞賛の拍手をしてあげる事に専念しています。
本人がコンクールを自分の向上のために利用するの事は大歓迎ですし、それは必ず効果があると思いますが・・・
演奏には好みもありますし、速度一つにしても時代によってその時の流行があります。
自分でその曲と向き合いながら、自分なりに納得したものを披露しているのに、他人からとやかく言われる筋合いもないような気がします。
勉強不足はいけませんが、自分の思いや信念を貫く事はいいことだと思います。
ショパンでもリストでも、あの時代はコンクールの賞歴ではもちろんなく、聴衆からの情熱から生まれる名声でコンサートを開催していたわけですし、ショパン自身がリストと違い、「僕は、サロンコンサートに向いている。」と思ったからこそ、サロンコンサートを続けていました。
何でも向き不向きがあります。
音楽批評家は、演奏者の何倍も自分でその曲を勉強し、実際に演奏経験ある人が自分の意見としてアドバイスをして、評価して下さるならある程度納得できるのですが、勝手な自分の好みで評価をしていくのは好みません。
そういうお仕事がある自体、何か芸術とはかけ離れてしまっているように思えます。
世界中の1人でも感動さす事が出来るなら、それは立派な芸術家なのです。
実際にはそう思っても、演奏したいアーティストの人口が多すぎて誰を選んでよいか分からないですからコンクールが必要になった、という歴史はよく理解出来ますが、どちらにしても好みの問題ですから、世界中の人の耳を育てていけば、自然とよい演奏に集まるでしょう。
マスコミの影響で自分の意見もかき乱されるから、「この人の演奏は前に入賞者演奏会で聞いた事あるし、あまりあのあと批評いい事載っていなかったのよ・・・」で終わりにしてしまう人も出てくるのでしょう。
そうなると、批評家は責任重大なお仕事ですよね。
もし、その貶されたアーティストは、それ以後仕事が回ってこないで、生活が営めなくなって自殺でもしたなら、間接的にはその批評家が犯人になってしまいます。恐ろしい事です。
ところで、ショパン演奏は、スタインウェイやヤマハのピアノで演奏しても実際にはショパンの考えている雰囲気や音楽にはならないのです。
以前にもそのお話は致しましたので重複してしまいすみませんが・・・
あの当時のショパンを追い求めるなら、彼は、プレイエルピアノでしか作曲しなかった訳ですし、プレイエルしか好みませんでした。
ですから、プレイエルピアノを置いて、サロン風にして、ショパンから出てくる味と空気や呼吸をたっぷり聞かせて、演奏評価をしていかないと本物じゃないわ・・・と勝手なを思ったりしています。
1800年代のプレイエルピアノに触れてみると、そこから流れる音楽は煌びやかです。
プレイエルから出てくる音色は全く今の音色とは違いますし、手を鍛えて良い音を出すというピアノでもありません。
「こんにゃくのような手で」とショパン先生が弟子に指導したように、プレイエルは、サロンに相応しい、素敵な響きを持ちます。それこそ“光”を感じます。
またその響きを感じとるには、ヨーロッパの乾燥地帯が条件になりますから、湿気の多い国では発揮できないのが残念です。
それはさておき、私がワルシャワで聴いた1995年に入賞なさられた、宮谷理香さんは、いつも前向きにあれから15年経っても初心を忘れずに地道にお勉強を続けていらっしゃいます。
本当に素晴らしい事だと思います。
クリスマスフェスティバルでは、12月1日(金)の後半のリサイタルをお願いしています。
お人柄がとてもよい方ですので、演奏やトークから彼女の“光”を感じる事が出来ます。
ただ弾けるだけでは、“光”を感じないですし、魅力的ではありません。
今回ワルシャワで演奏なさられた日本のアーティストたち、本当にお疲れ様でした。
その信念と努力にエールを送ります。
自分の信じる道をピアノと向き合って対話しながら、確かなものを掴んで行ければ、それが一番の財産だと思っています。
“芸術”は戦いではなく、潤いですから・・・
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