今週帰国いたします

皆さま、お元気でお過ごしですか。
10月の3連休を楽しんでいらっしゃる事と思います。

今日で、先週から続いたご来客の接待は終わります。
とても楽しい時間を過ごす事が出来ました。、
とにかく底抜けに明るい方たちばかりですので、もう話だしたら止まらないし、フランス人のふざけた話、呆れた話にお腹を抱えて笑って声が枯れそうです。
それが毎日のように続きましたので、タフな私でも少し疲れ気味のようです。
それでも、ディナーのメニューをどのお客様も大変ご満足くださったので、作った甲斐がありました。

あとは、帰国の準備に時間を費やします。

ところで、只今は、ショパンコンクールの第二次予選をしていますね。
今の時代は、Youtubeという便利なものがありますので、ライブで観る事が出来るのですね。
日本人の参加者たちも、頑張ってくれていると思います。
自分らしい演奏が思いっきり出来るように、お祈りしています。

ショパンコンクールの時期になりますと、色々な事が思い出されます。

5年に一度のコンクールですが、1995年にフランスのアルザス地方のコルマールに住んでいた折に、当時中学生だった娘と二人でコンクールを鑑賞に参りました。
きっかけは、ドイツ フライブルグ音楽大学教授の故エディット・ピヒト=アクセンフェルト女史がその時のコンサート審査員でいらしたので、娘がお世話になっていました関係で、チケットを回して下さるとのことで、ポーランドを旅行したいという気持ちと折角ならショパンコンクールを鑑賞したい、という気持ちがあり、急遽出かけました。

現地でチケットを頂いた折に、エディット・ピヒト=アクセンフェルト女史の疲れ切った顔を今でも鮮明に覚えています。
もちろん、ご高齢でいらっしゃいましたから、毎日の審査でお疲れになることは当たり前ですが、目が真っ赤に充血していましたので、大変心配致しました。その時、私に漏らした言葉は…
「世界からポーランドまでコンサートを受けにきている若きピアニストたちが、どんどん振り落されていくのはもう不憫でたまらない。」と嘆いていらっしゃいました。
いつも神様のようにお優しい方でしたので、相当心を痛めて、その後ずっとご体調が悪くなられました。
ピヒト=アクセンフェルト先生は、ピアノをゼルキンに、オルガンをアルザス出身の医学で有名なシュバイツァーに師事した方ですが、とても美しい音色のピアニスト兼オルガニストでいらっしゃいました。
2001年にご他界されたと記憶しています。
ドイツの病院で痴呆症が進んでも、ピアノに向かうと素晴らしい演奏をなさられたそうです。音楽だけは忘れなかったのですから、さすがですね。

先程の話に戻りますが、私も、大きな会場で弾く事だけで満足しているピアニストに取っては、大きなイベントとして”参加する事に意義がある”的でよい勉強にもなりますし、とてもよい経験だと思いますが、一生懸命に頑張って、賞だけの事を考えてきたピアニストたちは、もし望み通りの結果にならなければ、ピアノに対して、将来に向けて元気が出せなくなってしまうのでは・・・と心配になってしまいます。
何でも経験することは素晴らしい事ですし、プラスにならない事がないですので、みんなみんな挫けず頑張って欲しいですね。

小林愛実ちゃんがパリの我が家にいらしたのは、丁度、関本昌平君が下宿していた時ですから、確か小学校3年生の時でした。
二宮裕子先生とご一緒にお越しになり、パリでも厳しいレッスンを受けていました。
あれから、随分月日が経ち、すっかり大人になり、ショパンコンクールの第一次予選通過されたことをとても嬉しく思います。

自分の音楽を披露して、素敵な思い出を作って欲しいと思います。
もちろん結果がよいことを願っていますが、幸せな気持ちでいてくれるのが一番です。

では、次回のブログは、日本に帰国してからになります。

これから、片づけを始めます。

皆さま、日本ではいろいろお世話になりますが、よろしくお願い致します。
素敵な秋をお過ごし下さい!

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