昨日は、フィギュアSPの話題の中で、カナダのロシェットの事は触れませんでした。
それは、彼女の事を一行では語れないと思ったからです。
ロシェットの涙の中にはいっぱいの想い出と母への愛しさ、精一杯頑張った自分の肉体と精神力への感謝と感激!・・・色々詰まっていたんでしょうね。
「一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなく、われわれが与えたものである。」という文章をふと思い出しました。
これは、故三浦綾子さんの「氷点・続」に引用されていた ジェラ―ル・シャンドリーの文章ですが、ロシェットもお母さまからたくさんの宝物を与えてもらって、今の彼女があるんだと思います。
お母さまもロシェットの演技に満足して微笑みかけている事でしょう。
親子の心と心の絆はオリンピックの順位とは別物です。
与えられたものを感謝して受けるのも”愛”なんだと聞いた事がありますが、確かにそうだと思います。
自分の人生を与え尽くす人生に出来たなら、どんなに素晴らしいことでしょう。
ところで、「泣く」という現象、目から涙が溢れるのはどんな時でも一緒ですが、赤ちゃんがおっぱい欲しさに泣く、子供がころんで泣く、という事と、大人が悲しくて泣く、苦しくて泣く、また嬉しくて胸がジーンとして泣く、時と場合によって流す涙の意味は違います。
塩加減はどうだか知りませんが、何か涙の中の成分が違いそうですね〜
涙に色があって、その時に応じてのカラーの涙が出るとすると何十種類もの色になりそうです。
現在の人には特に「泣く」事が必要だと思います。
それはストレスがたまっていて、人生に苦しんでいる人が多いからです。
泣く事がストレス解消に役立つと言う事が研究で実証されています。
血液中のストレス成分を調べた実験で、タマネギでの涙はストレス成分が増えたけれど、感情で涙を出した場合は大幅に減ったとういう研究結果で分かるように、泣く事が必要なんです。
「男は、親の死に目以外は泣くべからず!」っていうのは、”強く生きよ!”という意味なのでしょうが、実際には、泣く事で色々な自分の心の動きが整理されて、次の活力になると思います。
日本人は我慢強い方が美徳とされているから、西洋人のように喜怒哀楽を表に出す事が少ないかもしれません。
フランスに渡った時は、何と表現豊かで素敵な人種なんでしょう〜って感激したものです。
でも日本人ってとても繊細で、内面で感じる能力が素晴らしいと思います。
心がとてもデリケートで美しいです。
音楽にはすべての要素が必要なんだ、と感じるようになりました。
そういう日本人のような人種を感動させるためには、演奏家自身のハートの中に与えるものが沢山つまっていなければ心を動かす事ができない、という事なんでしょうね。
では今日はこの辺で〜
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