誕生日に思った事…

昨日と今日は、秋晴れですが、皆さまお変わりございませんか。

昨日 (11月12日) は、私の誕生日でしたので、今年は、レストランでのパーティーではなく、娘夫婦が自宅に招待をしてくれました。
孫は、自宅に来てくれたので、自分の部屋を見せたり、大はしゃぎをしていました。
家族の皆から愛されている事を再確認し、幸せに思うひと時でした。
猫の手でも借りたいと思うほど忙しい娘が、一生懸命素敵なメニューを私のために準備してくれました。
手の込んだ素敵なフランスのパーティーメニューでした。
気持ちだけで嬉しいですのに、家族中が、心のこもった、”私の事を思ってくれてのプレゼント”をたくさんくれました。
洋服、バッグや食器も大切に使わせてもらいます。
素敵な1日でした。

家族の絆、家族の温もりがあれば、多少険しい道のりでも頑張れるのでしょう。

我が家は、職業柄、旅芸人みたいな事をしていますが、今年で15年続けていますが、まず喧嘩がありえない家族だから、このように続けていられるんだ、と実感しました。

私は、若い頃から、お互いに相手を大切にする心で音楽を奏でなければ、素敵な音色にはならないと確信していましたので、敢えて、国際コンクールも最低限に留めました。
それは、芸術に甲乙をつけたり、相手を蹴落としてでも優勝するために頑張らねば、というような教育は、芸術家にとっては、最低の教育だと思ったからです。
それでも進歩の過程では、場慣れのため、他人に聴かせる楽しさを味わえるように、ホールから聴こえる響きや残響の確認、のためには色々コンクールも利用させてもらいました。

しかし、最終的には、お互いに尊重しあい、他人を大切に思う心があれば、音楽は自然に美しく鳴り響くものだと考えています。
音楽の音色は、心と一体ですから…

年齢と共に、色々な事を考えるようになるものです。
私の身近な友人が今年は2人他界致しました。
人間の一生は、自分では選べませんし、各人違いますが、今年の6月に末期がんで亡くなられた友人は、家族に看取られた時に、「私は本当に幸せだったわ。」とご主人におっしゃったそうです。
ご主人からの悲しい知らせの中でも、「そう言ってくれたんですよ。」と声を弾ませて話して下さいました時は、あのような素敵な方だから、誰からも愛されていた方だったのね、と微笑ましく思いました。

先月他界した友人は、小学校と中学校にいつも一緒に仲良く通っていた姉妹のような関係の親友です。
洋服も一緒に揃えて、楽しい子供時代を送れたのは、Kさんのお蔭です。
彼女はもっぱら聞き役、私はおしゃべりなので、学校までの長い道のりをずっと話していました。
Kさんは、「毎朝のんちゃんの話を聞くと何だかとっても元気になれるの、その不思議な力ってどこから出てくるのかしら?」と言って、いつも大切にして慕って下さっていました。
塾では、よいライバルでしたし、お互いに友情を大切にし、大学時代までよく泊まりに来ては夜明けまで話し込んだりしていました。
丁度ご主人の仕事の関係で、スペインのマドリッド滞在期間がありましたので、フランスとスペインの間でよく国際電話をして楽しんでいました。

Kさんは脳腫瘍で18年間苦しみましたが、お子さまたちのご立派な成長ぶりに胸が熱くなりました。
施設にお見舞いに参りました時には、もう食事も自分では出来ない、ご主人のことも分からない、と言われていましたが、私の大声に彼女の眼は確かに反応を示し、キョロキョロ見回してくれていたのを覚えています。
4ヶ月間の肺炎での入院生活が死期を早めたそうです。
色々な人生があることも、経験を通して学んでいきました。

さて、私の人生は今後どうなるのか全く予想もつきませんが、この一年も穏やかに、感性豊かに過ごしたいものです。
そして、自分を磨くための努力をしたいです。
他界した私の親友の分まで、精一杯生きていきたいと思います。

では、素敵な秋を満喫して下さい。

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